ページの本文へ

Hitachi

日立の樹オンライン

1973年から1975年(昭和48年から昭和50年)に放送された、初代「日立の樹」CM制作にまつわる裏話をご紹介します。

アニメーションの木だった初代「日立の樹」テレビCM

モアナルア・ガーデンのモンキーポッドが「日立の樹」としてCMに登場してから25年以上になりますが、CMに登場した最初の「日立の樹」は、アニメーションの木でした。CMには、実写の木は一切登場していません。

CMが誕生する前の1970年当時、日本では、初めての万博となる大阪万国博覧会が開かれ、創業60周年を迎えていた日立は、「日立グループ館」として参加しました。その一方で、経済の面では「いざなぎ景気」が終わりを迎え、環境や資源などの社会問題がクローズアップされ始めた時期でもありました。

「技術の日立」を掲げてきた日立は、電力を中心とした事業構造から、コンピューター主体の「システム」という事業構造へ転換を進めており、「英知とシステムで地球を守ろう」キャンペーン広告などの展開が行われました。

そんななか、1966年の放送開始時より日立が単独提供していたテレビ番組「すばらしい世界旅行」が、1972年に日立グループ25社による提供に変わるにあたり、それにふさわしいCMをつくろうと、初代「日立の樹」CMの企画がスタートしました。

コンピューター技術が大樹のように大地に根を伸ばし、その技術がいろいろな花を咲かせ、実を結ぶという「システムの日立グループ」を象徴する大樹の映像と、日立グループの未来への可能性を明るく歌い上げたCMソングとを組み合わせ、来るべき「コンピューター社会」と「未来」をイメージさせるものをつくりたいというのが、日立の思いでした。

スタッフは、その思いにふさわしい姿の木を求めて、世界中の名木・巨木を探し回りましたが、形だけでなく背景もよい木が見つけることができませんでした。そこで提案されたのが、アニメーションで描かれた木でした。

モデルとなる実在の木がないところから生まれたCMソングの歌詞

映像に並行して、CMソングの制作も進められました。作曲は、さまざまな人気CMソングを手掛けている作曲家の小林亜星さんに依頼したところ、ふたつ返事で快諾をいただき、作詞は、小林亜星さんのご紹介を受け、伊藤アキラさんにお願いすることになりました。

CMのイメージを説明するスタッフに木の絵を見せられた伊藤アキラさんから、「この木は、なんという木ですか?」「どんな木なのですか?」「どこにあるのですか?」などの質問が出ましたが、絵のモデルとなる実在の木がないため、名前もなければ、どんな木なのかもわかりません。

スタッフは「わかりません」「知りません」と返すばかりでした。そのときのやり取りから、CMソング「日立の樹」の歌詞が生まれたというのは、ウソのような本当の話です。もしもCMが実写の木で制作されることになっていたら、この歌詞は生まれなかったかもしれません。

成長する木のアニメ、軽快なメロディーと、わかりやすく、耳になじみのよい歌詞から構成された初代「日立の樹」テレビCMは、「みんなが集まって、みんなが持ち寄って、新しいものをつくろうと思っています」「あなたを取り巻く問題が、日立のテーマです」とのナレーションと、「システムの日立グループ」のテロップで、締めくくられています。

日立グループとしての総合力を活かしたシステムにより、よりよい社会をつくっていきたいとの思いを、一本の大樹の形で表現した「日立の樹」テレビCMは、こうして完成しました。